都政新報
 
 >  HOME  >  連載・特集
震災へのまなざし~東日本大震災から10年(下)/被災地に根を下ろす/ここが私の帰る場所


  リアス線の鵜住居(うのすまい)駅。雲一つない快晴の中、駅周辺には新しい建物がぽつぽつと点在している。釜石鵜住居復興スタジアムを横目に駅から歩いて25分。向かったのは、記者も幼い頃に家族で海水浴に訪れた根浜海岸近くのキャンプ場だ。この海岸は震災によって砂浜が消失したが、去年、宮城県から砂を運び入れて復活。今年は震災後初めての海開きができそうだという。
 訪れたのは、第三セクターの(株)かまいしDMCのメンバーとしてここで働く傍ら、自身で観光サイクリング事業も行う福田学さん。イザベルさんと同様に地元の友人に紹介してもらった。豊島区出身で、2017年6月に地域おこし協力隊として釜石に移住。20年3月から今の場所で働く。母親の実家が岩手県にあるため、幼い頃からよく訪れていたという。
 震災当時は都内で会社員をしており、すぐにボランティアに来たかったが会社の都合で来られず、ずっと心残りだったという。
 「岩手の人はあったかくて、『自分の帰る場所』という感覚があった。震災後は自分のふるさとが壊された気持ちになって悲しく、何かしたいと思っていた」
 東京での会社員生活に疑問を感じていたことや、東京で開催された岩手県のイベントで釜石の人と知り合った縁もあって移住を決めた。震災は生き方を変えた出来事だった。
 「釜石に来た当初は『(東京に)帰るの?』とよく聞かれたが、帰らないと答えると喜ばれた」。被災地では外から多くの人が支援などでやってきたが、時間の経過とともにほとんどの人は帰ってしまい、地元の人にもそのイメージが強く染みついている。
 「10年経ってようやく少しずつ地元が復興する姿が見えてきた。自分はそれを見守る一人」。福田さんの口からは自然に「地元」という言葉が出た。
 ただ、インフラなどは復旧してきた一方で、人口の減少には歯止めがかからない。「コロナで東京に住むことだけが全てではないと気づいた人もいたのではないか。人が戻ってくるようなまちをつくっていきたい」と前を見つめる。

■人生で一番正しい決断
 前日に会ったイザベルさんも福田さんと同様、外からこの地にやってきて地域に根を下ろした一人だ。
 彼女は震災当時、がれき撤去のボランティアをしながら被災者の話を聞き続けた。作業に支障が出るため涙は我慢していたが、ある時、一気に感情があふれ出し、大泣きしてしまったという。
 3カ月のボランティアの後、東京に帰ったが、しばらくは被災者の気持ちを思って落ち込んでいた。しかしその一方で、地元の人と友達になれたという事実はうれしかった。だから、大船渡の地への移住は、「人生で一番正しい決断だった」と言い切る。
 近所に暮らす片山和一良さんも、「イザはこの地域の財産だよ。おらよりも山から海まで幅広く知ってると思う」と褒めちぎる。
 「震災後、人生は明日終わるかもしれないと思うようになり、自分は何をしたいか考えた結果がこの地への移住。元々、田舎育ちなので変わったというより戻った感じ」
 昨年は結婚もあり、この10年で人生は大きく変わった。「震災はすごく大変だったのに、プラスのことが見えてくる。がれきを撤去していて、いくらモノを持っていてもゼロになるかもしれないと思った。何が大切なのか、選択をするようになった」
 田舎への移住では地元の人とのコミュニケーションがハードルの一つとなりがちだが、被災地には「地元の人」「よその人」という区別は思いのほかないように感じた。そこに暮らす人々は皆、震災を受け止め、未来を見つめて日々、一生懸命に生きているからだろう。被災地に10度目の寒い春が訪れる。北国に根を下ろす者は皆たくましく前を見る。 =おわり
 

会社概要  会社沿革  事業内容  案内図  広告案内  個人情報保護方針