都政新報
 
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東日本大震災から10年/防災・復興支援の到達点は/東京の弱点/電源分散、道半ば/帰宅困難者/備蓄など有事想定を


  東日本大震災から11日で10年となる。都はこれまで、発災直後の警察・消防による人命救助を含めて累計3万人超の職員を被災地に派遣。また、都では建築物の耐震化や不燃化、避難対策、地域分散のエネルギー対策といった防災対策を積み上げてきた。被災地支援や震災を教訓にした防災対策の「現在地」を取材した。  =4面に「職員派遣」

 帰宅困難者の収容に原発事故と放射線の対応、福島からの避難者の受け入れ─。「3・11」以降、都には連日「メガトン級」の課題が押し寄せた。
 震災直後、被災地支援で特に苦労したのがニーズの把握だった。全国知事会や市長会など複数のチャンネルを通し、迂回しながら要望が届く状況で、時宜を得た支援をするには直結のパイプが不可欠だった。石原知事(当時)の指示の下、都は被災地からニーズを吸い上げ、全庁を束ねてショートカットで支援を届ける仕組みを構築した。
 「全国から支援物資が届くが、冷蔵庫がないために保存がきかない」。陸上自衛隊幹部から現地事務所を通してこんな声が入ると、中小企業とのパイプを持つ産業労働局の協力で数十台もの冷蔵庫を手配し、被災地に送った。津波の犠牲者を荼毘に付す上では、建設局と福祉保健局が搬送や火葬に尽力した。
 当時、総務局総務課長として「兵站」の機能を仕切った黒沼靖・中央卸売市場長は「『やれることは何でもやる』という状態。都庁の底力が発揮できた仕事だった」と振り返り、「修羅場での経験が、次の災害の備えに生かせるようにしないといけない」と肝に銘じる。
 都にとっては「3・22」も難題だった。原発事故を受け、東京でも水道水から放射性物質が検出されたからだ。「瞬く間にスーパーやコンビニから水のペットボトルが消えた」。当時、総務局事業調整担当部長だった榎本雅人・住宅政策本部長が振り返る。当時の幹部の号令で急きょ、飲料用のボトルを配ることに。車両の手配や区市町村との連絡など詳細を詰め、翌日には運搬を開始するという早業だった。
 他にも、避難者を赤坂プリンスホテル(千代田区)で受け入れたり、職員の長期・短期派遣の枠組みを整備など組織がフル回転した。震災から10年が経過し、指揮を経験した幹部が退職で徐々に減りつつある。都が有事に「底力」を発揮できる体制になっているか、再点検が求められる。

■東京の弱点/電源分散、道半ば
 原発事故は都のエネルギー政策にも少なからず影響を与えた。当時、環境局長だった大野輝之・自然エネルギー財団常務理事が直面したのが原発事故に伴う電力不足で、「省エネと節電で乗り切ろうとした」と振り返る。
 従来、福島県や新潟県から電力の供給を受けて大都市の生活を賄っていたが、電力を地方に依存している実態が露呈。福島原発を巡っては2月、東電が原子炉建屋内の地震計の故障を放置していたことが判明したほか、安全対策や放射性廃棄物の最終処分の道筋も付いていない。
 環境局は現在、再生可能エネルギーの「地産地消」を進めているが、都内での電力量に占める再エネの割合は約15%で、30年に50%の目標を達成する道程は険しい。
 都内で再エネを展開する上でハードルになっているのが発電設備設置のための用地確保だ。都環境局は「都内で太陽光発電パネルや蓄電池の設置やEV(電気自動車)の普及を進め、災害時も電力の安定供給を図りたい」(地域エネルギー課)と話しており、来年度予算案では、都外で再エネ電源を設置する場合の整備費の補助も盛り込んだ。
 再エネの割合は増加傾向にあるとは言え、東京の成長を支えるエネルギーの確保は引き続き課題だ。大野常務理事は「(災害対策のためにも)分散電源化を進めなくてはいけない」と話す。
 他方、首都直下地震の被害想定では木造住宅密集地域の延焼が東京の「最大の弱点」として浮き彫りになった。
 都市整備局は東日本大震災をきっかけに、12年1月に「木密地域不燃化10年プロジェクト」をスタート。「整備地域」の不燃領域率の目標値を70%に引き上げたが、現時点での不燃領域率は目標を下回る63%程度で、11年からは約5ポイント増にとどまる。整備地域も目標を達成しているのは28カ所中4カ所どまりだ。コロナ禍で補助申請や戸別訪問が停滞していることも追い打ちをかける。
 同局は特区期間を5年間延長したほか、昨年3月にはUR都市機構と建て替え時の代替地確保などに関して連携を強化する協定を締結した。同局は「きめ細かな支援を広げて、事業を加速させたい」(防災都市づくり課)と話す。

■帰宅困難者/備蓄など有事想定を
 3・11では、JR東日本の新宿駅から締め出された約5千人を始め、多数の帰宅困難者が発生した。新宿駅周辺では都庁・議事堂で受け入れるなど対応に追われたが、東京全体を見渡すと、首都直下地震が起きた場合の帰宅困難者の対応は重い課題だ。
 総務局の萩原功夫・担当部長は当時、第一建設事務所に所属し、周囲では家路を急ぐ人が横断歩道を渡り切れず、車両が大渋滞した様子を目の当たりにした。その後、総務局総合防災部の担当者として鉄道やバス、国・区市町村などで構成する対策協議会で480ページに上るマニュアルを作成。災害時帰宅支援ステーションは、阪神・淡路大震災をきっかけに、関西広域連合で構築していたスキームを活用し、コンビニやファストフード店など、異なる業界団体とも交渉を重ねた。
 マニュアルを策定する上でハードルになったのが、物資の備蓄だ。震災時には一斉帰宅を抑制するため、職場にとどまる対策が基本だが、当時は民間企業の1割程度しか取り組みが進んでおらず、マニュアルに基準を盛り込む作業が難航した。萩原部長は「最初から一律の目標を設定するのではなく、出来ることから始めるよう呼び掛けることで、合意にこぎ着けた」。現在では企業の備蓄は浸透しつつある。それでも、一斉帰宅の抑制や備蓄の継続などは課題になるとして、萩原部長は「学生や新入社員など人が入れ替わる機会に繰り返し呼び掛け、意識を徹底してほしい」と話す。
 

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