都政新報
 
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2年遅れの移転~築地から豊洲へ 山積する課題(3)/築地のにぎわい/場外市場未来図いかに


  昨年暮れ。築地市場と肩を並べるように位置する築地場外市場は人でごった返していた。外国人観光客に加え、正月料理を買い求める来街者による活況は、今では歳末の風物詩だ。
 「場外は業務用の市場。観光客ばかりでは商売にならなくなる」。築地場外市場商店街振興組合や町会など地元6団体で構成する築地食のまちづくり協議会の鈴木章夫理事長はこう話した。
 築地市場が日本橋から移転したのは1935年。その時、場外も共に移転し、共存してきた歴史がある。場外には現在約400の店舗がある。鮮魚、魚卵、肉、玉子焼き、乾物、包丁などの調理器具─こうした専門の物販店の存在が場外の魅力を高め、場内の文化と交わって「築地ブランド」を形成してきた。
 鶏肉店を営む鈴木理事長によると、場外と場内の商品は互いに出入りし、場外から場内へは1日6千個、その逆は同5千個の品々が日夜行き交う。築地の商品を求める全国の飲食店や旅館、ホテルなどへ場内外の品をセットにして配送しているからだ。
 「今の流通形態を壊されたくない」。鈴木理事長はこう述べる。場内市場が約2キロ先の豊洲に移転すれば、現在のように商品を運ぶ小型運搬車「ターレ」1台で場内外を効率的に行き来する環境は失われる。だが、豊洲に整備予定のにぎわい施設は観光が主なコンセプトのため、場外からの移転は飲食店などに限られ、専門店の多くは築地に残るという。
 こうした事情から、場外の業者や中央区はこれまで再三にわたり、移転後に築地―豊洲間を搬送する商品の荷さばき場を確保するよう都に要望。中央区と都は、市場跡地のうち約4500平方メートルを区に暫定貸し出しする覚書を2016年に交わしている。都中央卸売市場は「解体工事の進捗状(しんちょく )況を踏まえ、貸し出し場所や費用面の調整を進める」(財政調整担当)と話す。
 跡地は東京五輪の輸送拠点として整備するため、移転のずれ込みにより、解体工事の日程は極めてタイトな状況だ。従来の計画通り、貸し出し場所を調整できるかが今後の焦点となる。
 移転後の築地のにぎわいを巡っては、中央区も試行錯誤を重ねる。
 「マグロの頭を写真で撮って、ソフトクリームを頬張って帰られてもね…」。中央区都市整備公社の石田純一氏は、他の観光地と変わらぬ姿に浮かない表情だ。同公社は区が16年に市場移転後のにぎわい維持を狙いに開業させた商業施設「築地魚河岸」(魚河岸)を管理運営している。
 魚河岸は飲食店などのプロ向けに、魚介を中心とした場内の仲卸業者を始め、約60店舗が軒を連ねる施設だ。市場移転延期を受け、当初予定の1カ月後の16年11月に暫定的に開業。今年10月の移転により、正式開業となる。
 場内市場との併存により、開業後の昨年始めには売り上げが低迷。客足はいったん遠のいたが、その後持ち直し、経営は安定してきたという。公社が実施した調査によると、土曜日の延べ入場者は2万人強に上り、平日でも1万人を超えている。中央区幹部は「(開業は)半ば成功と言える」と手応えを示す。
 ただ、昼前後の観光客による入場が多いのが実態で、目的としたプロの利用は道半ば。小口利用者を中心に、場内市場の顧客を招き入れ、新規開拓できるかが今後の試金石となる。石田氏は「場内市場の補完機能を発揮していきたい」と意気込む。
 老舗物販店が閉店して飲食店になるなど、観光客の増加に併せ場外市場の様相は変わってきた。市場移転後はこうした状況が一層強まると予想される。
 中央区幹部は「来てもらっているうちが花」と述べる。業務機能と観光機能を兼ね備えながら、移転後のにぎわいをどう維持・発展させるか。地元の努力が第一だが、都に振り回された海鮮丼店を営む業者の一人はこうも話した。「小池知事が騒ぎ立てたのは一体何だったのか。都に責任がある。挽回の一手を打ってほしい」
 

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