都政新報
 
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成果と焦りと~舛添知事就任から1年(1)/トライ・アンド・エラーの1年/知事との距離感

 
   都庁第一本庁舎の執務室。緊張した面持ちの職員が、所管事業を説明する。「ハイ、分かりました」と応じる舛添知事。何のことはない、知事ブリーフィングがスムーズに終わったのだった。
 石原知事時代のように特別秘書が介入し、変な仕事が降ってくることはない。猪瀬前知事のように枝葉末節の数字でかんしゃく玉が炸裂することもない。
 知事ブリに対する過度な緊張や萎縮は無くなり、知事室との距離感は縮まりつつある─。舛添知事の就任から1年、都庁内からはこんな感想が聞こえてくる。
 都幹部の一人は「知事の関心事に濃淡はあるが、仕事の量は明らかに増えた。知事にいろんな事業をさらしているのは確かだ」と指摘する。都議会との良好な関係もあり、都政が停滞した今までに比べれば、執行体制は改善したかに見える。
 しかし、知事の不満が漏れ伝わってきたのは、知事ブリからしばらく後のこと。複数の職員が「本当に納得して『分かった』と言っているのか分からない」と話す。
■風通しを良く
 「風通しの悪くなった組織風土を払拭し、ガバナンスの確立に取り組んできた」。舛添知事は新年あいさつで、昨年を振り返りつつ、職員らにこう訓示した。「互いに寛容の心を持って、都庁を更に風通しの良い、強靱な組織に変えていこう」
 昨年5月の連休明けに、「連絡将校」として補佐官6人を任命したほか、知事本局を解体し、「頭脳集団に純化する」と称して政策企画局を創設。石原・猪瀬時代を「ぬるま湯」と批判し、トップマネジメント機能の強化を打ち出した。
 「万機公論に決すべし」を持論とし、各政策についてタスクフォースや有識者会議で議論する手法を多用。都市外交や国際金融拠点の形成など、政策の優先順位に疑問符が付く部分はあるが、福祉や労働といった分野に光が当たるようになったことを好意的に捉える向きもある。石原元知事が無関心の分野は官僚に任せ切りだったのとは対照的に、「自分で判断したい」というのが舛添流。そうした考えが補佐官の任命につながったとも見られている。
 厚労相時代は直属の「政策官」を拡張するなど、組織を頻繁に動かしていたが、都庁でも個別の人事には口を挟まず、通弊を感じると、「トライ・アンド・エラー」で組織を動かしてきた。都幹部の一人は、「知事は官僚を(個々人ではなく)『機構』として捉えている」と解説する。
■全庁のグリップ
 舛添知事の組織改正でも全庁的に注視されているのが、補佐官制度の行く末だ。知事自身、「うまくいっていない」との自覚があるという。
 ある都幹部は知事の真意について、「1年が経ち、各局長のことを分かってきたから、各局とのリエゾン(つなぎ役)はもう要らないと考えたのではないか」と見る。連絡役を補佐官に任せるより、全庁をグリップすることを強く意識しているといい、「政策企画局に全庁を政策調整する機能が必要」と指摘する。
 補佐官会議はこれまで、「知事の意向を伝達する場」として、補佐官らは「知事と職員の距離感を縮めるツール」と話していた。しかし、首席補佐官以外は各局理事に「本籍」を置くため、局長を差し置いて責任ある答えが出来るわけではないし、局全体に精通しているとは限らない。「知事回りの案件は首席補佐官に集中し、負担が重過ぎる」という指摘が出ていた。
 補佐官は元々、霞ヶ関の大臣秘書官をイメージしていたと見られるが、厚生労働省と比べても都庁の組織は巨大で、幅広い事業を抱える。官僚は報告する案件をセレクトせざるを得ないから、それが不満だったのかも知れない。
 1年間、ガバナンスの強化に取り組んできた知事は1月の庁議で、局長らを前に「非常に風通しのいい職場に変わりつつあるし、情報第一、現場第一を徹底してきている」と評価し、「それが都庁のガバナンスの強化につながる。この流れを更に進めたい」と協力を求めた。
 ただ、都幹部の一人はこう漏らす。「庁内の会議で褒めたと思ったら、別の場所やウェブマガジンで批判することがある。知事の真意をつかみかねている部分はある」。高速道路を時速100キロで走ろうと意気込む知事だが、都職員にとって知事との距離感はまだ手探り状態にある。

 舛添知事が就任してから、12日で1年。就任当初は「職員の話をきちんと聞いてくれる」という声が多かったが、半年も経たないうちに「怒鳴らない、語学堪能な猪瀬」という評すら聞こえてきた。確かに前任者に比べれば都政運営は安定し、正常化したと言えるが、そもそも発車台が低すぎたという評価もある。舛添都政はどこに向かおうとしているのか。1年目を検証し、舛添都政の『針路』を探る。
 

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