都政新報
 
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2009年都議選を振り返って 記者座談会(上)


▲内田茂・自民党都連幹事長の決起集会には石原知事、麻生太郎首相(当時)の姿も
  「風」が「名簿」吹き飛ばす
自民批判、選挙直前に暴風に


09年の都議選は、野党の民主党が54議席を獲得し、第一党に躍進した。その一方、自民党は10議席減らし、自民・公明で過半数を割った。自民党が第二党に転落したのは、65年に都議会議長選挙の収賄事件を受けた「出直し都議選」で、社会党が45議席を獲得して以来、44年ぶりという歴史的な惨敗。特に、都連幹事長を落とすなど、1人区での敗北は今回の選挙戦の象徴と言える。担当記者で都議選を振り返った。

 A 第一声に選んだ場所に、各党の戦略が見えた。前回は、新宿や池袋、上野など不特定多数の人が行き交うターミナル駅だったが、今回は自民が青梅、民主が築地、公明が荒川、共産が杉並。各党とも落とせない選挙区だった。自民が青梅を選んだ時、そんなに厳しいのかと思った。まさか、千代田区で民主新人に負けるとは想定外だった。
 
 B 5月頃の情勢調査では、千代田区はもちろん、中央区、青梅市でも自民が優勢だった。選挙が近づくにつれ、自民の逆風は一段と強くなった印象だ。

 C 自民党の石原伸晃都連会長は敗因について、宮崎県の東国原英夫知事の擁立騒動など、党内の「統一感のなさ」を挙げていたが、同感だ。宮崎県知事のような重量感がない人を総選挙で担いで、国民の支持を得られると思うのは浅はかだ。

 A 全候補者の事務所を回った麻生首相や石原知事の応援も、それほど効果がなかった。全事務所を回るより、街頭演説に借り出した方が、よほど人は集まり、陣営の引き締めになったと思うのだが…。

07年参院選と似た結果

 A 民主の総得票数は約230万票で、07年参院選(比例代表・都内)と同程度だった。都議選で200万票を超えたのは初めて。従来は、63年の自民党の190万票が最多だった。

 B 民主は告示3日前に追加公認した世田谷、葛飾の候補が当選し、目黒区では落選したものの、得票数は共産より多かった。公認を増やすほど、票が出る勢いだった。1人擁立の江東区では、大澤昇氏が約6万4千票獲得したが、2人通る票数だ。

 A これだけの追い風があったが、大田区では現職2人が落選した。そのうち1人は、都議5期で幹事長も務めた人。当選していれば、議長の最有力候補だった。党都連幹部は「風に乗れない候補だった」と語ったのが印象に残った。

 B そう言えば、鳩山由紀夫代表は、新人の応援で、築地移転や新銀行東京への反対を盛んに強調していたが、名取氏の応援では「何でも反対ではないのが名取さん」と演説を変えていた。

 C 民主は、漠然とした期待感に支えられた浮動票をつかむ選挙。これに対し、自民はドブ板選挙だ。4月末、認証保育所推進連盟の自民決起大会で、内田茂氏は「民主党は選挙が終わって、お礼を言うにも、誰が票を入れたか分からない選挙だ。自民党の公認候補は、責任政党として受け継がれ、自ら作り上げた名簿で選挙を戦っている」とあいさつした。自民の支持基盤が弱っているのは事実だが、民主の看板でそれ以上の票が出た。

少数会派には厳しい選挙に

 B これだけ投票率が高くなると、公明党や共産党は非常にきつい。公明は、05年都議選で多くがトップ当選だったが、今回は豊島区や北区で自民の後塵を拝した。127議席目が中嶋義雄幹事長で薄氷の勝利。選対幹部も相当焦ったのではないか。

 C 共産は「民主は事実上、与党」との批判を展開していたが浸透せず、都立小児病院の統廃合が争点の北多摩第4区でも支持を拡大できなかった。批判ばかりでは票に結びつかない。各党が世論調査を交えて科学的な戦略を構築している時代に、いまだに都合のいい理屈で選挙をしている。中野、北、江戸川などの現職落選は事前に予想されたことだ。

 A 民主とネットの関係は、転機を迎えたと思う。ネット現職がいる2人区の南多摩、北多摩第二で、民主が独自候補を立てた根底には、「都議選でネットを支援しなくても、ネットには国政選挙で民主以外に支援する政党がない」と足元を見られた点がある。政策協定を結んだが、民主のこの態度が変わったわけではない。問題を糊塗する上で、政策協定は有効だったが、本質が解決されたわけではない。

 B 昭島市でネット候補に民主が乗ったが、これも地元の衆院議員が「自分の衆院選でプラスになる」と利害関係が一致しただけ。今回の都議選は、民主とネットのあり方を問う選挙になった。
 

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