都政新報
 
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副知事 宮坂学氏に聞く/都庁にデジタル組織・文化を/「才能と情熱」解き放って


  都議会第3回定例会での議決を受け、ヤフーの社長・会長などを歴任した宮坂学氏が9月20日付で都の副知事に就任した。ICT施策を専管し、モバイル通信ネットワークの構築や「ソサエティー5・0」の実現に向けた取り組みを指揮することになる。民間出身者を副知事に登用するのは猪瀬直樹氏以来で、その手腕に注目が集まる。就任の抱負と課題認識などを聞いた。

 宮坂氏は、都が9月に策定した「5G」網の構築を柱とする基本戦略の策定で中心的な役割を担い、副知事としてもICT施策を専任する。抱負を聞くと、「絶対にやりたいことが一つある」と切り出し、「都庁にデジタルチームを残すことだ」と明言した。
 参与として3カ月間、都庁で仕事をしてきたが、「行政のデジタル化が進んでいない」と実感。その原因を考えると、ICTを担当する組織が小さ過ぎることに行きついたという。
 他の主要都市のデジタル部隊を見ると、ニューヨークやロンドンを始め、1千人規模の組織を展開。これに対し、都は100人程度にとどまる。「まずは強力なデジタル部隊の『船』を造りたい」
 チームの規模は「全体の枠がある」として明言を避けたが、道路や水道の技術者集団をイメージし、「長い伝統があり、技術継承され、カルチャー(文化)もある。自分の代でデジタルチームを作って、都庁に良きデジタル文化を残していきたい」と語った。
 「技術を前向きに捉えて、規制・ルールではなく技術で物事を解決したい」。失敗例として紹介したのが19世紀のロンドンだ。蒸気自動車が発明され、今の自動運転のようなイノベーションが起きた時期だった。しかし、歩行者や馬車の安全に配慮した交通規制法令「赤旗法」が施行され、旗を掲げた男性が自動車の通行を知らせながら歩くルールができた結果、自動車産業の「スタートアップ」によるイノベーションが止まってしまったという。
 「我々は新しいテクノロジーに対して、古いものとの緊張関係もあって阻害する動きを取りやすい。新しい技術に対して慎重な部署があってもいいが、私のチームはデジタル技術がより良い世界にするんだと思っている人の集団にしたい」
■プログラマブルな街に
 元々、行政には全く関心がなかった宮坂氏だが、なぜ都政に飛び込んだのか。東京をデジタル化するという仕事に、「相当、やりがいを感じた」と話す。
 宮坂氏がヤフーで働いていた当時は、オークションサイトや決済、ニュースアプリの開発など、「モニターの中」が主戦場。しかし、今は実際に決済アプリが浸透し始めるなど、「スクリーンの外側がホットゾーンになっている」と解説し、「今後は農業や工業、交通など、街全体がプログラミングされる。都庁のてっぺんから東京を眺めると、やることが多くてめちゃくちゃ面白い」と熱を込める。
 では、民間時代に印象深かったことは? こう聞くと、「う~ん」と考え込んだ末、意外な答えが返ってきた。
 ヤフーに在籍していたある日、出社すると、デスク上に『こんな上司が部下を追いつめる』という本が置かれていた。部下からだろう。当時は「こんなの読めるか」と放り捨てたが、衝撃を受けたという。
 「当時は超トップダウンで体育会系。『宮坂組』と呼ばれていた(笑)。でもちょっと、芸風を変えないと、(仕事を)大きくできないなと思った。『才能と情熱を解き放つ』という言い方をしているが、私一人を解放しても知れている。1千人の組織だったら、一人ずつの才能と情熱を上司が解き放つと(仕事が)大きくなると、考えを改めたんです」
 宮坂氏はこう振り返り、「好き勝手に動かれては困るので、30度くらい(の角度)というイメージで方向付けをして、後はおのずと皆で自分のやりたいことを表現していくスタイルになった」とシフトチェンジのきっかけを明かした。
 都職員へのメッセージを求めると、やはり「才能と情熱を解き放つ」ことを挙げた。「皆さん、やりたいことがあって都庁に入ったと思う。トップが決める戦略も大事だが、職員一人ひとりが自己表現ができるようになれば、全体的にいい仕事になるのでは」
 「民間に戻らない」と明言している宮坂氏。今後のキャリアをどう考えているのか。
 「行政やNPOもやったことがないので、そういう(公共的)セクターの仕事もやってみたい」。宮坂氏が住んでいた長野県白馬村の村長になるのかと聞かれるというが、「そっちは全然興味ないんですよ。自分は技術的に正しいことを進めたいタイプ。実務をやる方が合っているかな」と笑った。
 同志社大経済卒。1997年にヤフーに入社し、社長・会長などを歴任。高校時代から山岳部で、休日は登山やバックカントリースノーボードを楽しむ。ヤフー会長時代、冬の白馬岳でテントを張っていると、急きょビデオ会議が設定され、標高2200メートル・氷点下10度の環境で、スマホで問題なく会議ができてしまった。「こんなところまで仕事が来てしまうのか、と思いましたけど」と苦笑する。山口県出身。51歳。
 

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