都政新報
 
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激動の時代から新たなステージへ/平成の都政とは/青山やすし元東京都副知事


  今年で平成の幕が閉じる。平成の都政を振り返ると、鈴木俊一、青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子の6人の知事が就任し、中には1~2年の短命で終わる事態が2代続いた。平成の知事選では、実務者よりも知名度のある政治家らが当選する傾向が強く、その知事の下で都政運営が行われてきた。平成の30年間、都政はどう変わったのか。青山〓元副知事に聞いた。

 平成に入った時、都知事は鈴木さんの3期目で、大江戸線を整備したのが最大の功績だと思う。都が大江戸線の着工段階で1兆円を借金し、2000年に全線開通するまで大変な事業だった。また、有楽町から新宿に都庁舎が移転したのも鈴木都政時代だ。庁舎移転は大江戸線とセットで整備する計画で、鈴木さんが「マイタウン東京」構想で打ち出した(オフィスや商業施設などを数カ所に分散させる)多心型都市構造を目指し、新宿副都心を育てる意味合いがあった。
 だが、都心部の機能更新も図る必要があるとの声が都庁内や経済界からも上がり、多心型都市構造も限界に達していた。その中で臨海副都心での都市博覧会開催を批判した青島さんが知事選で当選した。 青島さんが当選したのは、生活実感のある政策として、都市博中止という一点だけをアピールしたことが大きい。平成の都知事選では総合的な政策力ではなく、瞬発的なアピール力で当選が決まる新たな時代に入った。また、青島都政以降、都知事選は政権与党の自公が推薦する候補が勝てず、有権者の生活実感に訴える候補が勝つようになった。単純に人気投票に変わったというよりも選挙の本質が変わったと思う。
 石原都政は政策面でも生活実感を打ち出した。例えば、ディーゼル車規制では、石原さんが環境科学研究所を視察した後、職員にディーゼル車から排出したすすを取りに行くよう指示した。ペットボトルに詰めたすすを記者会見で振りかざした時のアピール力はすごかった。自動車メーカーは排出抑制する技術開発ができないという理由で反対したが、石原さんの天才的な発信力があり、世論が支持した。結果として技術開発も実現した。生活実感のある政策をアピールするという新しい手法が大都市東京に持ち込まれたことで、都の政策に対する都民の関心を高めた。
 石原都政の延長線上にあるのが小池都政だ。小池さんが実施した豊洲市場移転延期もオリンピック競技会場の見直しも正しいかといったら、正しくないが、都民に理解されていなかった点を小池さんは突いたと思う。移転延期は「無駄な議論だった」と指摘されるが、豊洲市場の安全性が都民に理解されていなかったことに問題があった。関係者は移転の必要性を分かっていたが、小池さんは都民の理解を得ていなかった点を知事選で訴え、都民の支持を得た。さらに、都市博も当事者は開催するものと思っていたが、当時の知事選の結果を見れば、都民が都市博に疑問を感じていたというギャップと同じではないか。
 この間の猪瀬・舛添都政はそれぞれ1年と2年で幕を閉じた。いずれも政治とカネの問題で辞任したが、生活実感とかけ離れたことをすると引きずり落とされるケースだ。両都政は短命で評価する材料がないが、短期間の都政が2代続いたことで(地下鉄8号線やつくばエクスプレスを始めとした)鉄道の新規事業などが全く手掛けられない状況となった。このインフラ整備を行ってこなかったツケが鉄道の混雑率にも表れている。
 小池さんは、知事在職時代には完成しない鉄道の延伸や新線など長期的な課題を解決するため、投資できるかが課題。特に市場移転延期で環状2号線の本線が東京五輪までに開通できないのは致命傷だ。地下トンネルが開通していないと、2両連結のBRTも走行しにくい。そういう失点を回復するには、臨海部の地下鉄構想(地下鉄8号線など)を実現した方が良い。
 また、都政改革を標( ひょう)榜(ぼう)する小池さんは、待機児童対策として認可保育所を整備するだけでなく、時代に合った政策に転換していくことも必要だ。それによって、小池都政の評価が決まる。
■都市づくり
都心機能更新で成果
 ─都市づくりの平成史を振り返ると、鈴木都政は多心型の都市政策を推進していた。
 多心型都市構造は東京全体の均衡ある発展という政治的な意味の一方、鈴木さんにとっては新宿や臨海部を愛していた点が一貫していた。新宿の都庁舎移転には反対論も強かった。そうした反対論や知事選などを視野に、ハコモノの約束を大量にしてしまった。
 賛否はあるが臨海副都心開発は結果的に良かったと思う。臨海部は当初、国がオフィス床が圧倒的に不足するという計画を出し、同エリアに着目した流れがあった。ただ、バブル経済がはじけてオフィス床のニーズが冷え込み、結果的にエンターテインメント施設や展示場を始め、芸術や文化、スポーツなど、ある種の21世紀に向けた街づくりにつながった。ただ、地下鉄が通っていないのが致命的で、土地利用の発展が交通整備より先に来た形だ。
 ─この多心型都市政策は青島都政で大転換を迎えましたが、具体的な契機は何に求められますか。
 青島都政誕生後、1995年11月に策定した3カ年計画「とうきょうプラン」はとても意味があった。同プランで都心の機能更新を図ると明示したからだ。これで多心型都市構造政策は事実上、終(しゅ)焉(うえ)し(ん )た。また、羽田空港の機能強化や3環状道路の建設促進を盛り込むなど、都庁実務として明確に鈴木都政から転換を図った。
 このプランで世間が最も注目したのは、鈴木都政時代に約束した宇宙博物館や多摩都民フォーラムなどのハコモノだったが、青島都政はそれらを「冷凍庫に入れた」(青島知事)。この凍結に都庁の担当者は苦労したに違いない。
 ─青島都政以降の都心機能の更新はどのような経緯をたどりましたか。
 この「とうきょうプラン」を機に、東京は都心機能の更新でニューヨークやロンドンを追い越した。2002年に丸ビル、03年に六本木ヒルズが竣工するなどビルの建設手法が変わり、オフィスに小売店やレストランなどが組み込まれて多くの人々が訪れるスポットになった。また、同プランは都心の企業本社が交流の場としての機能を携えることを前提にした。結果的にこの機能も急速に進み、民間ディベロッパーが中心となり、極めて利便性など水準の高いオフィス床が都心に集積した。ただ、ビル機能は変わり続け、今後も人材の更なる集約のための快適なオフィス構造を造っていく必要がある。
 ─一方、3環状道路の整備など首都圏全体を視野に入れた事業も展開していきました。
 東京の生活や経済は圏央道の直径100キロ圏の関東平野を中心に成り立っている。続く石原都政の「環状メガロポリス構造」(00年)、「首都圏メガロポリス構想」(01年)は東京市長・後藤新平氏が関東大震災後に作った震災復興計画の範囲を関東平野に広げた理論だが、現在では圏央道が9割ほど完成し、環状と放射状の構造がうまくかみ合っていると言える。
 また、石原さんの功績として首都高速中央環状線の山手トンネルの建設もある。この事業は極端に言えば1票にもならないが、石原さんは4期13年半の全てで予算を付けた。選挙に強かったから推進できた事業だと思う。
 一方、長期政権となった鈴木さんは大江戸線を、石原さんは山手トンネルや羽田空港の4本目の滑走路などを完成へと後の知事に引き継いだ。しかし、石原都政4期目から猪瀬・舛添知事と短期政権が続き、こうした長期的な投資ができなかった実態がある。小池さんは自分の代に「テープカット」できないようなプロジェクトを推進すべきだ。

■偏在是正
狙われた都税収
 ─平成の都政で始まった偏在是正措置ですが、小池都政が過去の経験から学ぶべき点はありますか。
 法人事業税の暫定措置が導入されたのが08年で石原さんの3期目に当たる。法人事業税や法人住民税は当該地域で事業者が行政サービスを受ける対価性があり、税の原則に反していることをまず指摘する必要がある。また、都財政の状況が外形的に良いのは間違いないが、例えば図書館など公共施設は地方都市より乏しい面も現実としてある。だからこそ、都は他の地方に対して説得力のある効果的な反論をしなくてはならない。
 平成の期間だけでも、都は大江戸線や圏央道、羽田空港の国際化、つくばエクスプレス(TX)など、関東や全国の人が便利になる事業を進めてきた。小池都政はこの歴史に学んでいないように見える。選挙を恐れずにこうした都独自の財政需要に言及して、地下鉄8号線やTXの延伸、羽田空港の更なる機能強化など、全国の人々に寄与するインフラ投資をきちっとすべきだ。
 ─石原都政では首都機能移転問題で副知事が全国を行脚して説得に当たりました。
 私が副知事の時、首都移転反対を掲げて全国の知事を随分と訪問して説明した。ほとんどの道府県が首都移転候補になっていないこともあり、説得しやすかった面もあるが、全国への働き掛けで努力を重ねた。また、ディーゼル車規制では国内自動車メーカー7社が反対する中、関東地方の自治体と協力して実現したことも大きかった。近県への働き掛けを大事にし、ある意味で関東地方の自治体を味方に付けた。
 偏在是正に絡めれば、鈴木・石原都政では職員定数の大幅減など、実際に行革で「血を流した」ことも忘れてはならない。「都は外郭団体が多い」などと言われるが、他の地方が道府県立として有している施設などを都は数十年にわたって民営化した歴史がある。この財政再建は平成時代の成果の一つで、この経緯を無視して単純比較されては困る。

■福祉
転換遅れる保育政策
 ─福祉施策の特徴の一つに、待機児童対策の強調などがあります。
 待機児対策だと、01年発足の認証保育所は成果だ。保育時間など認可保育所のサービス水準はある意味で低く、認証保育所は園庭がなくても保育時間の延長が可能で、日曜日も開く、駅から近いなど、保育料は高いのにあっという間に広がった。
 ただ、保育政策は転換し切れていない。保育所を増やすのではなく、多様な保育形態を創設する必要がある。小池さんが標(ひょ)榜(うぼ)す(う )る都政改革は本来、時代に合った政策に大転換させることが求められる。この意味で、小池都政が行ったベビーシッターへの月額最高28万円の補助制度は典型的な都政改革と言える。施設保育には限界があり、昭和に比べて住宅事情は改善する中、行政による信用力のあるベビーシッター制度の構築はもっと早くに行わなければならなかった。
 ─00年に介護保険制度が施行されるなど、高齢者対策も大きな転換点を迎えました。
 施設面で特別養護老人ホームは増加しているが、需要に追いついていない。「自宅で過ごしたい」「自宅で死にたい」などの希望を持つ高齢者は多いが、訪問医療や24時間巡回介護・看護システムが進んでいるとは言えず、小池さんが政策として身を乗り出せば、都政改革につながると思う。改革すべきメニューは特に福祉面で多いように思う。
 あおやま・やすし=1943年東京都生まれ。中大法卒。67年都庁入庁。石原都政の99~03年に副知事を務め、ディーゼル車規制や首都機能移転問題では全国の知事を説得に回った。明治大学名誉教授。現在は一般社団法人都市調査会代表などを務める。

 

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