都政新報
 
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小池都政2年~第2部 有識者に聞く(6)/教育公教育充実に予算配分を/内田良/名古屋大学大学院准教授


  半年ぐらい前の話になるが、都内で教員を対象に開いた講演会で東京の先生の不満の声が多かったのに驚いた。それは石原都政で導入された教員評価への不満で、先生は学校内外の目線を気にしながら教育活動をしなければならず、校長も評価におびえている。本務ではない部活動も評価の対象になり、長時間労働をせざるを得ないのも、評価への不満が多い要因だ。
 しかし、教員を評価しなくていいわけではない。これまでも一部の教員とはいえ不祥事が起きてきたし、説明責任を高めるためにも評価の仕組みを取り入れることはある程度必要。評価は学校の風通しをよくして、教員が何をやっているか明らかにするためのものであって、先生を苦しめるためのものであってはならない。都教委には常に現場の声を聞きながら、評価の在り方を考えてほしい。
 いじめ問題などで、教育委員会の対応が悪ければ、首長が介入する必要がある。例えば、都教委が2016年に運動会で組み体操をやめるように通知を出したのはすばらしかったが、ある都立学校の体育祭では危険なタワーが行われ、都教委が事前に止められなかったと聞いている。その際、知事にはリーダーシップを発揮してほしかった。
 ただし、石原元知事は教育委員会に介入しすぎたように思う。扶桑社の歴史教科書の採択や卒業式での日の丸掲揚・君が代斉唱など保守的な思想をできるだけ学校に取り入れたのが石原都政だった。良かれ悪しかれ、石原都政で教育は大きなテーマだったが、小池都政では教育談義がなく、教育そのものがテーマになっていない。猪瀬・舛添都政もそうだった。
 都には日本の教育をリードするような積極的な教育施策を希望する。例えば、組み体操でけがをした高校生から「どうやってやめさせたら良いのか」と相談を受けたことがあるが、子供や先生の声を拾い上げる仕組みが全国にはない。全国を代表する都教委は取り入れてほしい。
 さらに、教育はトップクラスの子供を伸ばすのと同時に、そうではない子供の学力を底上げするという両輪で行っていかなければならない。都教委の新しい取り組みである「英語村」は、初級、中級、上級と、様々な学力の子供に対応している点は評価できる。だが、民間活用によって利用を有料にしており、家庭の経済力との関係が気がかりだ。都は私立学校に通う生徒の割合が高いが、だからこそかえって、公教育の存在意義もしっかりと考えるべきである。
 また、都教委は公教育の充実に予算を充てるべきだ。公立学校の教員が残業しても残業代は付かず、自己犠牲を払って長時間労働するのが教員の力量の証しのような部分がある。だが、教育界の一番の大きな話題は教員の負担増だ。教員は国によって定数配分されているが、都教委が教員を独自に採用することは可能だ。公教育は基礎的な教育を、私立は特別な教育を提供するのが使命。特別な教育を受けさせるために各家庭が特別に多くの授業料を支払っていることを考えれば、都が私立高校の授業料を実質無償化するのはおかしい。学校法人を優遇しており、理解に苦しむ。公教育を充実する都教委や都知事であってほしい。
 

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