都政新報
 
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私の青春シネマ16/2001年宇宙の旅

 
  「パァーン、パァーン、パァーン、パパァーン、ドンタン、ドンタン、ドンタン」って、最初からお騒がせしてすみません。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭、R・シュトラウス作曲の交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が鳴り響いたところ、のつもりです。
 この作品を初めて観たのは、昭和44年(1969年)3月、19歳のときでした。文字通り「私の青春シネマ」です。場所は中央区銀座一丁目、「シネラマ」で有名だったテアトル東京。「シネラマ」は、3台の映写機で湾曲した巨大スクリーンに映像を映し出す方式で、迫力満点でした。
 本作がアカデミー賞の「特殊視覚効果賞」を受賞したことを記念する「凱旋上映」で、特別に「全席自由、入れ替えなし」。ですから、おにぎり持参で最高の席に陣取り、朝から晩まで3回続けて観っぱなし。でも、ちっとも疲れませんでした。ああ、あの若さと体力が懐かしい。ちなみに日本での封切りは前年4月でした。
 人類と高度な知性体との接触を描く本作は、「人類の夜明け」「木星への旅」「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」の三つの部分からなっています。
 400万年前、人類の祖先がまだ獣同然に暮らしていた頃のこと。謎の石柱「モノリス」に導かれ、道具を使うことを覚えた猿人「月を見る者」は、水場を巡る争いで、動物の骨を武器に敵を倒します。「月を見る者」が勝利の雄叫びをあげ、骨を空中に投げ上げると、一瞬の後、骨は宇宙船に変わります。そして、地球と月を背景に、ヨハン・シュトラウス二世のワルツ「美しく青きドナウ」に乗って宇宙ステーションやスペースシャトルが次々と登場します。このシーンを見て、私、感激のあまり涙が出ちゃいました。スタンリー・キューブリック監督は、人類が築いた文明の本質がどういうものかを鮮やかに絵解きしてくれた。そう考えたからです。当時、友人にその感動を熱っぽく語ったことを覚えています。
 さて、1999年、月面のティコ・クレーターでモノリスが発見されます。調査に赴いた人々は、モノリスから木星に向けて発信された強烈な信号に倒れてしまいます。
 18カ月後、モノリスの謎を解明すべく、宇宙船ディスカバリー号が木星へと旅立ちますが、メーン・コンピューター、HAL9000が反乱を起こし、ついには乗組員を殺害するに至ります。コンピューターにも人間と同じように精神や人格があるのでしょうか。
 唯一の生き残り、ボーマン船長を乗せ、ディスカバリー号は、木星の衛星軌道に到達します。そこで彼は何を見たのか。そして、旅路の果てに彼が出会った運命とは?
 長い年月にも決して色あせることのない映像と人間や文明の本質に鋭く迫る問題意識。皆さん、『2001年宇宙の旅』をぜひご覧になってください。
 昭和56年(1981年)、テアトル東京は取り壊され、平成13年(2001年)4月、跡地にある映画館で「ミレニアム特別版」と銘打って『2001年宇宙の旅』が回顧上映されました。ロビーに展示されたディスカバリー号の超精密模型を見た私は、木星への旅はおろか月面基地さえ実現していないことに一抹の寂しさを感じました。映画公開当時、ポスターには、確か「この目で見る33年後の現実」という文字が入っていたのに。
 今年6月、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還に日本中が沸き立ちました。この地上も、さまざまな問題を抱えて大変ですが、どうか宇宙への夢は絶やさないようにしてほしいものです。もう400万年も前から、私たちはずっと「月を見る者」だったのですから。
 『2001年宇宙の旅』はDVDで観ることができます。本作の続編として「2010年」があり、HALの「私も夢を見るのでしょうか?」というセリフが泣かせます。
(東京都保健医療公社理事長 押元洋)
 

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