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東京の宰相~石原都政12年の盛衰 第2部(1)/権力の重心が議会にシフト

 「東京が先頭を切り、一種の革命をやってやろうと思う」。1999年3月10日、作家の石原慎太郎氏は、こう啖呵(たんか)を切り、都知事選挙に出馬表明した。美濃部亮吉知事を反面教師にし、ディーゼル車排ガス規制、財政再建、東京外郭環状道路の凍結解除などを進めた。国等を対抗軸に据える手法は、奏功した面もあるが、側近政治によって庁内との亀裂は徐々に拡大し、盛者必衰の12年間でもあった。石原都政とは何だったのか─シリーズ第2部で検証する。

 石原都政に対し、多くの職員は「都政の失速」と「閉塞感」「側近政治の弊害」を感じている。2003年の都知事選挙で308万票という圧倒的な強さを誇っていた首長が、なぜ坂道を転げ落ちるように推進力を失ったのか。その分岐点となったのは、05年の都議会百条委員会だ。
 この事件は、執行体制の崩壊過程で発生し、権力の中心が知事から都議会の有力者へシフトする引き金になった。表と裏の両方の司令塔を同時に失い、都政の停滞はこの頃から本格化していく。都議会で35年ぶりに百条委員会が設置されたという歴史的な意味合い以上に、05年は節目の年だった。
 石原都政の体質が象徴的に表れているこの事件をひも解きながら、百条委員会が都政に何をもたらしたのか、見てみたい。 (続きは本紙でお読み下さい)



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