検証・舛添都政2年~1期前半を振り返る

第8回 共存共栄/芽生えた「地方の視点」

2015年12月18日掲載



 「私は東大で先生のゼミを受けていました」「私も授業を聴講していました」─。昨年7月、佐賀県唐津市で行われた全国知事会議。初めて出席した舛添知事に、東大助教授時代の教え子だった他の知事からあいさつが相次ぎ、舛添知事の顔がほころんだ。

 「先輩知事」からも一目置かれる姿は、舛添氏ならではの存在感を表す形となったが、知事会議での歓迎ぶりは東京の知事として久しぶりの出席となったことも一因だ。

 「都知事が6年間も出なかったこと自体、常識から外れている。私は出ない方がおかしいと思っている」

 2014年7月の記者会見で、6年ぶりの出席となることを記者から指摘された舛添知事はこう述べ、石原・猪瀬知事の姿勢を暗に非難した。

 実際に会合に出席することの意味は大きい。この6年間、副知事が代理出席してきたが、都庁幹部の一人は「知事と副知事では発言の重みが全く違う。限られた時間の中、副知事では発言機会が無いことも多い」と重要性を指摘する。

 出席したこと自体で注目を浴びた舛添知事だが、今年の夏、岡山市で行われた知事会議では、発言でも好印象を与えた。それが「共存共栄」の考えだ。

 この日の知事会議は「地方創生」がメーンテーマ。ともすれば東京への一極集中が批判を浴びかねない場面だったが、舛添知事は五輪の際に東京を訪れた外国人観光客を地方に誘導する仕組みづくりを例示しながら、「東京も他の地域も、一緒に頑張っていく方向性を出していきたい」と語った。他の知事からも同調する意見が上がり、会場の雰囲気が変わった。

 「共存共栄」の受けが良かったのは他の知事だけではない。ある幹部職員は「地方税財源の偏在是正措置撤廃に向けた国会議員などへの要請活動でも重要なツールになった」と話す。これまで都が撤廃に向けて主張しても、地方選出の国会議員は耳も貸さなかったが、共存共栄の考えを伝えることで、東京は単に自分のことだけを考えているわけではないというメッセージとなり、主張しやすくなったというのだ。

 舛添知事も当初から「共存共栄」が頭にあったわけではない。知事会議に初めて出席した際、東京の一極集中問題を指摘された舛添知事は「なぜ東京だけが機関車になって走らなければならないのか。疲れる。プロ野球球団があるような都市には頑張ってほしい」と牽制(けんせい)した。

 これは「東京は日本のダイナモ」と叫んでいた石原元知事の考えと基本的に同じだが、都議会から「上から目線で、都と地方は違うというように聞こえる」との批判が漏れていた。そこで「機関車役」に代わるフレーズとして多用し始めたのが「共存共栄」だった。

 地方税財源の偏在是正措置撤廃に向け、今年9月にまとめた「都の主張」では、羽田空港の機能拡張や3環状道路の整備などが日本全体に波及する効果を強調。共存共栄による日本全体の発展が重要だとして、五輪関連の調達情報の全国中小企業への提供などの具体策を示した。

 また、10月に策定した都の総合戦略でも、地方創生の実現に向けた柱の一つに「共存共栄」を掲げ、全国の観光情報の発信や、五輪開催を見据えたボランティア活動や五輪教育での連携策などを打ち出した。

 共存共栄の考えにより、職員の意識にも変化が表れている。

 都産業労働局は11月、地方との共存共栄に向けた自局の21事業を「ALL JAPAN&TOKYO」としてまとめた。同局は「共存共栄策は都が考えた施策であり、地方の思いと異なる可能性もある」(企画担当)と話し、地方側の生の意見を聞きながら具体的な施策を構築する考えを示す。

 こうした「地方との連携」について、庁内からは「これまでの都庁になかった視点」との声が上がる。そもそも石原元知事が全国知事会議に出席してこなかったのは、地方との関係構築に関心がなかったことの表れでもあった。

 「共存共栄」の背景には、偏在是正措置撤廃に向けて地方の協力を得ることや、被災地復興も目標とする五輪の成功など地方との連携が欠かせない状況がある点は間違いない。だが、結果的に地方との連携に職員の意識を向けさせたことは、舛添知事がもたらした新たな方向性と言える。

 現時点で都が打ち出した「共存共栄」のメニューは限定的であり、具体的な効果も不透明だ。これを突破口として、単に懐具合だけの問題とはせず、地方主権の時代にふさわしい「国の在り方」まで議論を発展していくことが出来るかが、今後問われてくる。 
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